道を歩こうね

たのしい仮想日記

ミクマク

膨大にある、やるべきことの中のひとつに一旦、区切りがついた。正確には、区切りをつけたこととした。

 

やるべきことたちは今も膨らみ、宇宙を呑み込まんとしている。すでに呑まれたあとかもしれない。

 

やるべきことたちを目の前にしたとき、かれ(任意の三人称)は顔の見えない巨大なバケモノ的なものと捉えてしまいそうになるが、実際は小さな、あるいはちょっと大きなやるべきことが無数にあるだけだ。

 

やるべきことたちを一つひとつ仕分けてやるべきこととして捉え、やっていく必要がある。

とても当たり前なのに、やるべきことがやるべきことたちになってしまうとつい見失う。

 

だからやるべきことたちになってしまったやるべきことたちをやるべきことに分解して整頓する日を設ける。無理にでも。無理なときもある。

 

やるべきことたちのやるべきこと個人個人(個人?)を見失っていると、『やるべきことをやる』という名目で目の前の直接的な仕事ばかりやってしまう(自分の場合は仕事の中でも特に成果物がわかりやすい『物を作る』行為)。よくない。

いや、よくないことは無いんだけども。

進めなきゃいけないのは確かだから正解の場合もあるが、仕事の全容を把握していない状態で進めるのはいかがなものかとも思う。

 

 

やるべきことを整頓しながら、思う。ミクロとマクロ、的な語彙を使えたら格好ついたかもしれないと。

 

コメダ珈琲、いつもありがとう。コメダ・整頓・珈琲の名を授けます。

虫の夢の話をしよう(最新版)

外で見る虫と家で見る虫はまったく違う。

 

普段は虫に対して特別苦手意識があるわけではないが、家の中を蛾が舞っていたり蟻が何匹も這っているとやはり嫌な気分になる。

まず発見した瞬間の絶望があり、これに時間や体力を費やすことを思い、嫌な気分になる。

 

 

外で見る虫と家で見る虫がまったく違うように思えるのは、虫と自分との物理的な距離や、四方を壁に囲まれている精神的緊張感があるか否かが大きく関係していると推察できる。推察という言葉を使いたかっただけです。

 

家に出る虫への強い忌避を指し示すように、幼少期からよく見る夢に登場する虫は家に出るやつらばかりだ。

他人様に面と向かって聞かせるのは気が引けるけどインターネット上では何度か解説している悪夢のひとつで、病気の夢と呼んでいる。

 

【夢】

まず白い部屋の中央に自分が居る。部屋の大きさは25m四方程度で、窓も扉も家具の類も一切ない。

その床、壁、天井のいたるところに無数の虫が張り付いている。

虫の種類は先に言ったように家の中に出るタイプのあらゆる虫だ。虫同士は2匹分くらいの隙間を空けながらびっしりと存在している。

 

その部屋から外に出ようと試みる。扉は無いが前に進んでみる。自分は部屋着を着用しており、足には靴下を履いている。床には壁や天井と同様に無数の虫がいる。避けることは不可能なので、踏んでいく。

 

一歩進むごとに虫の潰れる感触を靴下越しに感じる。虫の体液か自分の汗かわからない湿り気が増えていく。

どれだけ歩いても向こうの壁に辿り着かない。部屋が少しずつ縦に延びていることに歩いている自分は気づかない。

 

という夢。

 

 

頻度の変遷はあれど未就学児の頃から20年は見続けているのだから、ロングセラードリームだ。

部屋の端に辿り着いたことは一度もない。

 

高校生くらいの頃、流石に同じ夢を見すぎているという理由で母に話したところ「病気の人だ」と言われたため、それ以来病気の夢と呼んでいる。

 

病気の夢の病気ポイントとしては『大量の虫』を何らかの中毒になぞらえているところと、明確に踏みつぶした感触があるという点が挙げられる。

 

夢の中で感触があるものといえば『プールに入ったと思ったらおねしょをしていた』系は夢あるあるだと思う。夢の中で感触があるということは、何かしら現実とリンクしているはず。

 

ということは…………

 

怖いですね。以上です。

 

ネット上で何度か言っている話をなぜまた書いたのかというと、この夢を本当に何年も何度も何度も何度も何度も見ているのに説明が上手にならないのは勿体ないから。

 

将来仕事の幅が広がって怪談のオファーが来たときのために話せるようにしておこうと思う。

私を含めたお前達に

人生がゆるやかに詰んでいる

 

→人生の規模が把握しきれない。扱いきれない言葉を主語に据えたくない。

 ↳『主語?故意に省略した〝私の〟が主語では?』と思った。

 

→ゆるやかに詰んでいる、も正しいとは思えない。詰みはゆるやかに訪れるものではなく、常に可能性として存在する。

ゆえに、〝ゆるやか〟なのは詰みを認識・自覚する速度であり、これは脳の鈍さや人生(!?なんてこと)への当事者意識の希薄さからくるものと思われる。

 

人生がゆるやかに詰んでいる

この、どこかで見たことがあるような、社会性の低さを売りにしたエモめっぽい既出リリックは確かに己から無意識に発せられた。本当につまんない人間だ。すげえ。

つまんないことがバレないように、丁寧に、パロールを愛して、届くべきあなた達に届けたい。そのためであれば自分がつまんないことはバレてもいいとさえ思う。

 

 

そりゃ、

面白くなりたかったけどさ。

 

→違う違う。問題はそこじゃなくて。

詰みを打破するために仕事を上手くやる。

そして『人生がゆるやかに詰んでいる』なんてしょうもない言葉を二度と思わないようにする。

 ↳そうすれば少しは

夏×世界×仕事◎友人◎

いくらなんでも時間の流れが速すぎる。

 

なんて興味の湧かない書き出しか。

落胆と怒りはどちらが身体に良いだろう。

比較的害の薄い方を沸かせようと思う。

そりゃ気も立ってくる。暑いから。夏。

 

異常発汗体質の人間は例外なくこのごろの暑さに気が立っている。

 

異常発汗体質でなくても夏の暑さに逆撫でられる人は少なくないんじゃないか。

生まれてこのかた通常発汗体質だったことが無いからわからないけど。

 

まず通常がどんなものは知らない。

異常発汗体質異常発汗体質と言うてるけれども、異常発汗体質って言いたいのが先行して実際の発汗はそれほどでもない

とかだったらよかったのにね。異常汗腺は毎日活発。

カスがよ。

 

引き続き己の話。

/

落ち着いている、と他者から言われることがある。(本当に言われるんだから仕方ない)

 

しかし異常発汗体質の人間が初夏から晩秋にかけて穏やかであることはまずありえない。

 

加えておれは年じゅう気が立っている。

発汗の有無にかかわらず基本キレている。

思うべきことを思い、言葉になる過程の取りこぼしに塞ぎ込んでいる。あるいはキレている。比較的心身に害が薄そうな方を選んでいずれかの感情を沸かしている。日々。

 

これが仕事で手を動かしているときや友人と話しているときは例外で、負の感情選択システムは発生しない。

仕事と友人は偉大だ。

末永く続けていきたいと思う。

 

書いてみたはいいものの、仕事はともかくとして友人を精神の安定に利用しているみたいになるのは本意じゃない。

 

友人も私との会話を楽しんでいたら良いなと思う。

しかし、友人に楽しんでほしいのも自分の欲なのだから、結局我欲に友人を取り込もうとしている気がする。対等でありたい。結局我欲ってかなりリズムがいい。

茶化しているわけじゃなくて。

 

仕事、好きです。出来る限り続けるからよろしく。

友人、好きです。なるべく幸せに生きていこうね。

帰路4キロ

道を歩いていた。

 

夜が深く、0時を回っていたと思う。

後日支払う割り勘分の代金を忘れないうちにメモしておく。二軒目分は彼に、三軒目分は君に。

 

途中で小銭が足りなくなったのが痛かった。次回からは棒金でも持って行こうか。

 

こういった割り勘ではPayPayで送金するのがスタンダードらしい。己は現金クレカ楽天ペイのみの加盟人間であるから、率先して会計する人間がいる場においては他人の財布を重くしてばかりいる。

 

改めて書くと、申し訳ない気持ちが湧いてくる。

しかし何かと理由をつけて今後も使わないんだろうな。PayPay。(PayPay.)

 

夜が深い。

道には人がいない。

平坦で歩きやすい。

イヤホンは勿体ない。

どのみち今は血流が悪く、音楽だろうが道の音だろうが碌な音質では拾えないので、であればなるべく外気に晒しておきたい。

 

飲食店やコンビニが立ち並ぶエリアを抜けた何も無い歩道の真ん中に、1台の自転車だけが置いてあった。

 

車道を挟んだ向かいの歩道にあるのであまりよく見えないが、それなりに綺麗なクロスバイクに見える。

パンクして乗り捨てたか、鍵を失くして押していたが途中でどうでもよくなったか、そんなところだろうか。

 

それほど遠くない位置に交番があるのであまり悪いことは起きないと思いたい。引き続き道を歩く。

 

理由付けと思考の結果がずれるのは頭の悪さばかりが原因なわけではない、と思いたい、と思った。

↑これは最近の興味対象である恋愛感情について、思惑を言葉として記述しようとした際に性指向と性的指向と性欲の話が混入し主導権を掠め取ることがあるが、自分は自分が理解し易い属性のために存在しているわけではなく、断片的な要素ひとつひとつをいかに言語化せずに自分として存在させられるかの試みをしたい意志によるズレもあるからそういう風に思うに至ったよ〜でも今これ自体がずれてきているのは頭の良くなさが原因っぽくてキレそ〜というつぶやき

 

家に着いた。水をがぶ飲みして就寝。

 

会心(歴代最悪)の出来

「この話、前にもしたことあったっけ?」

 

 

近頃は出入りするコミュニティが増えたことで手持ちの話題をどこで繰り出したか把握しきれなくなっている。

 

きっとまだ誰にも話してはいないはずだ。繰り出すことにする。

 

 

[]

 

その日は尾久駅を降りてあらかわ遊園に向かっていた。東京らしさを感じない住宅街だった。

 

住宅街はどこも同じだと言う輩が現れたら強く否定したい。住宅の密集度が違う。屋根の形が違う。道の分岐の角度が違う。コンクリートブロックの積み方が違う。狭小住宅の幅が違う。花の種類が違う。側溝の主張が違う。道路に書かれた標識の数が違う。

 

というわけで東京の住宅街を歩いている時はたいてい『東京の住宅街だなあ』と思うわけだが、尾久駅を降りて歩いていた時は違った。見慣れた道に近い。

 

目的地までしばらく一本道が続き、視界の先に短い横断歩道があった。その横断歩道の歩行者用信号機は赤く光っており、いいタイミングで青に切り替わる予感がした。

 

実際信号は私が渡っている最中に点滅を始めたのだが、何かの間違いでなければ3回だけ点滅して赤に切り替わった。都会のスピードだ、と思った。

 

「……という話なんだけど、やっぱり話したことないよね。…………あった?うん、『途中までは一緒だけど』『最後は信号が点滅無しで赤に切り替わって』『その代わりに横断歩道の白い部分が点滅して』『飛行艇が』了解。エピソードの盛りとユーモアには今後一生一切手を出さないことを誓うから、この日記はもう終わりにしよう」

目薬を買って帰った

最近不定期で就業している雑貨店兼カフェからの帰り道、普段使わない道を歩いていた。

寄り道をしていた。

 

まっすぐ一本道で行けば、寄り道の目的であるところのココカラファインにはすぐたどり着くが、一本遠回りをすることにした。決めてしまったのだから仕方がない。

 

帰路についているタイミングでコンビニ以外の店が営業時間帯である状態は、(以前より多少増したとはいえ)いまだ非日常の感覚が強い。

 

過ごしやすい気候のこの頃なんかは特に、むやみやたらと歩きたくなる。というような心の働きが発生している。のだと思う。

 

遠回りの道には公園があった。

 

寄り道ついでに公園を一周してみる。

 

大きめの芝生に小高い丘、ジャングルジムと雲梯、尻の接地面がローラーになっている滑り台、虹色のブランコ、ホールドが付いた反り立つ壁。ターザンロープが2本。ほかにも名前のわからない遊具がいくつもあった。豪華な公園だ。

 

地面に埋まった巨大ネジみたいな見た目で、上に乗ると跳ねるあの遊具に名前はあるんだろうか。

 

ともかく豪華な公園だった。

ふだん通りがかる公園といえば砂場とブランコしかなく、そのブランコも数年前から立ち入り禁止になっている(悲しい事故があったのだろう)。

 

この豪華な公園で幼少期を過ごした子供たちはアクティブな人格が形成されそうだ。

 

てきとうなことを口走った。

自分は幼少期にかなりたくさんの広い公園に連れて行ってもらった(公園は無料だから)が、現状アクティブな趣味はひとつもない。

 

ここで遊んだからといってアクティブな人格が形成されるとは限らない豪華な公園をずんずん横断する。

 

丘の近くにたくさんのヤブ蚊がいて嫌な気持ちになったので小走りで公園を出た。

 

公園を抜けるとココカラファインはすぐそこにあった。